はじめに

今の現代日本でyoutubeを知らない人はいないんじゃないか?と思うくらいには浸透している動画媒体。誰もがポケットに入るコンピューターで、いつでもどこでも動画を見られる今の時代は、大きく分けて動画投稿者と視聴者が存在している。
かくいえ私もいち視聴者側であったのだが、2024年の1月に、何を思い立ったか動画投稿を始めてみようと思ったのだ。
某有名youtuberを見たらわかると思うが、youtuberには莫大な広告収益が流れてくる。加えてファンを獲得すれば継続的な収益を見込めるであろう。そんなyoutubeドリームを夢見て早速動画投稿を始めてみたのだ。
結果から言うと3ヶ月で継続は断念し、今はブロガーをしているわけなのだが、どうして断念したのか?そしてやってみて感じたことや学びをこのブログに残していこうと思う。
Youtubeドリームを夢見て|理想と現実のギャップ
趣味と副業程度に始めてみたyoutubeの現実
はっきりといってyoutubeを始めたきっかけなんてお金と趣味程度で考えていた。
趣味程度にはじめてみて、お金も多少なりとも入ればいいなー程度に考えていたが、現実はそうそう甘くない。
そもそもyoutubeの収益化にはとある要件を満たさないと行けない。
登録者1000人以上、公開動画の総再生時間が4000時間である。
これらを満たさない限りは1円も入ってこないのが現実である。
正直、お金を得るためにyoutube をするのは、はっきり言って労力に合わないと感じた。上記要件を満たすまでに、果てしない努力と時間を有すのが明らかだ。
実際、私の場合は3ヶ月間、私生活に加えて一日5時間、多い日は12時間編集をしていたが、登録者は150人程度しか増えなかった。
その間の収益はゼロ。カテゴリがガジェットであったのもあり、総支出はマイナスでる。ぶっちゃけ報われないと感じてしまった。
もちろん現在やっているブログも同じで早々に登録者が伸びるとは思っていなかったが、現実を目の当たりにすると堪えるものがあった。
どうしてゆっくり実況を選んだのか?

地声を好きになれない自分との葛藤。
タイトルにも書いてあるが、私はゆっくり(機械音声)を使用した動画を投稿していた。
正確には「ゆっくり」ではなく「ずんだもん」なのだが…
しかしなぜ手間暇かかるゆっくりで動画投稿を行っていたのか?
簡単な話自分の声が好きになれなかったからである。
人間というのは不思議なもので、頭蓋骨を通じて聞こえる普段の自分の声と、実際の自分の声というのは全く違うものである。そんな中、録音した自分の音声を聞いた瞬間、鳥肌が立ち、背筋が凍るような思いをした。
「うん、これは聞いてられねぇわ」
もちろん幾ばくかの試行錯誤を重ねたが、なれない、話し方もキモいと感じるように。
できれば編集の楽な地声で動画投稿を始めたかったが、結果的にゆっくりを選んだのである.
動画制作の挫折から得たもの|継続は才能であり努力である。
労力と結果が釣り合わないのが辛い
さて、今までは動画制作を始めた経緯に付いて説明してきたが、今度は3ヶ月でやめた理由について説明していこう。
前述したと思うが、動画制作には多大な時間が必要になる。そんな中で、3ヶ月で登録者150人を超えて感じたのは、労力に対して結果が付いてこないことにある。
いくら頑張って台本を作成しても、目に止まらなければ見てもらえないし、需要がなければ全く伸びない。どんな動画が伸びて、長時間見てもらえるかその日々の研究の時間も必要になってくる。
明らかに労力に見合ってないように感じてしまう。
結果、1月にはじめて3月にはリアルが忙しくなり始めたのを堺に、いつの間にか諦めていた。
継続ができるのは才能か、努力か
はっきり言って継続してたらまだ結果はわかっていなかったと感じる。
もしかしたら1万人以上の登録者を持っていた可能性もあるし、全く伸びず、ただただ無駄に動画を流出していっていたかもしれない。
結局は継続しなければ両方にもなり得ない。継続できるのは努力も才能もあってできるものなのだと感じた。
ブログでも痛感する継続の難しさ
今はブログを12月から始めたが、現在は2ヶ月目前で、継続が怪しくなっていると感じる。やはり継続自体が難しい、自主的な継続の難しさを痛感している。
加えて現在のブログのPV数も見てみよう。
2月14日現在 合計70PV
明らかにyoutubeよりも見られていないのは確かだ。
動画編集もブログ編集もたいして変わらないくらい労力を割いているつもりだ。(なんならブログのほうが実労時間は少ないはず)なのになぜ継続ができないのか?
意思の弱さか?才能がないのか?甘さがあるのか?環境が悪いのか?
そういったことを葛藤しながら、先の見えない道を今はただ歩いているような感覚である。
もう一度の挑戦の意思
そんなこんなで、動画投稿を打ち切ったわけだったが、この記事を書いていると感じるのが、少し根を詰めすぎたのではないか?と感じるのである。
実際投稿した動画を見ていると、出来に関しては悪くない(むしろ良い部類だと感じる)だからこそ、もう一度チャレンジしたいと思ったりもする。
現時点で、このように記事を書きながらもやる気が湧いてくる。加えて動画制作の楽しさを思い出す。
ゆっくりでいいから少しずつ出せるようにしていきたいものだ。
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